地球ごめん

地球環境について思ったことと、趣味のバイオリンについて書きます。という目的で開設したがなんか考え事の雑記が主。

反知識主義

反知識主義。がむしゃらに知識を身に着ける必要はなくない?と思いなんとなく思いついた言葉。あまりメジャーな言葉ではないみたい。

時間経過に伴い世の中の情報は増え続ける。紙や電子の記録媒体があるのだから、不便さを感じない限り“自分の中に”知識を得んでよしと考える。“考え方”も既存のものであれば結局は一種の知識だ。数学の証明みたいなもんだ。取り入れなくてよし。しかし、その知識を探すことができないならば、探し出しても理解できないならばそれは不便なので、そこに最低限必要な知識を見出すのでしょう。

人間から知識を除いたら何が残るのか。感情か。感情は人工物に置き換えることはできまい。
人工知能による感情。知識、ってか情報として人間の感情表現を記録して蓄積し、プログラムであたかも人間のように感情を模倣、再現するのだろう。しかし蓄積と記録なしに人工知能から感情が生じるか、いや生じまい。感情は固有のものだ!
でも結局人間の感情も、DNA的なやつとかBABYの頃から蓄積された感情の記録のプログラムによる条件反射みたいなもんじゃないかと考えると人工知能みたいなもんじゃないか?
何を言いたいかわからなくなってきた。何かを主張したいようで主張などなかった。

雲散霧消!!!