地球ごめん

地球環境について思ったことと、趣味のバイオリンについて書きます。という目的で開設したがなんか考え事の雑記が主。

知るべきこと

啓蒙的な題。こういうのは嫌いだけど、あえてね。「知」について長々と書いてみる。

 

犬と一緒に住んでいる人は、奴らに玉ねぎを与えてはいけない、ということを知っていなくてはならない。断言するのは、食べたら健康に良くないから。でもどれくらいが致死量なのかは知らん。

赤信号を通行してはいけない。歩行者と車がぶつかる可能性があるから。全く人や車が存在していないときはぶつからないかもしれない。

炎天下の中、なんの対策もなしに赤ん坊を車の中に放置してはいけない。赤ん坊が死んだ事例がある。致死率は知らん。

 

とまあ世の中、知っておかないと健康や生命に直結するようなことがある。これらは、知るべきことだ、と思う。特に生命は、失われたら戻らないので。

電子レンジで卵をチンしてはいけないってことも知っておいたほうがいいと思う。卵が爆発するから。必ずかは知らんけど。

 

知るべきことではないけれども、知っていること。


生まれつき、または体験的に知っていることもある。例えば鋭利なもの、針などは、危ないもんだ、と知っている。DNAに刻まれていたか、物心つく前かは知らんが、いつからか知っていた。生命や健康に直結する、という意味では “知識として” 知っていた方が長生きできるかもしれない。体験しろ(つまりとかで体をブッ刺してみろ)ってことではなし。

個人的に興味深いのは人間以外の動物も、鋭利なものは危険だ、と、どうも知っている(あるいは知った)ようだ。犬は注射を怖がったりする。動物病院などで、痛い思いをしたか。野生動物も、なんかトゲを踏んづけたりしたか。あと、痛みではないけど、野鳥共は人間が近づくと逃げる(逃げないでほしい)。

自分を危険にさらす(であろう)ものを避けるのは、本能なのだろう。

 

こういうのは知っていることだけど知るべきことではないのではなかろうか。身体であれ、心であれ、できるなら「痛い」ということなんて一生知りたくない。知ってしまったが。「知りたくはなかったけれど痛みを知ってしまった」ってなんかJPOPの歌詞みたい。

どうでもいいけど(よくないけど)例えば所属する組織とかで、「お前は痛みを学ばねばならん」とか言われたりするのは危険信号だと思う。これからもっと痛めつけるから今のうちに痛みに慣れておけ、って意味と捉えられる。強烈な目的や、なんか使命でもない限り、痛みは知らないなら知らないに越したことはない。

 

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健康、生命に直結せずとも知っておかないと(少なくとも日本において)相当に生きづらいことはあると思う。

国語。まず知ることができる、学ぶことができるようにするために、最低限の文字の読み書きは、できるようにならないとマズイと考える。これがないと、情報を受け取ること、発することが相当に難しい。案外口語だけでなんとかなりそうだけど。ちなみに古文、漢文は日常生活であまり見たことがない。
数学。数字の四則演算を最低限知っていないと、買い物が不便。微分がどう生かされているかは知らんが。
理科。どうやら家電は、電気、というもので動いているようだ。交流と直流はよくしらない。水は温めたら気体に、冷やしたら個体になるようだ。温める、冷やすの具体的な仕組みはよくわかっていない(勉強せんとな)。
社会。法律を知らないと時に逮捕される。著作権法などは、日常にどこまで浸透しているのだろう?

英語。最低限YESとNOくらいは知っていたほうがいいと思う。

半ば強制的ではあるが、小学校の時にこういうことを知った。知ってよかった。自分の知っている範囲だが、小学校での学びはかなり洗練されているんじゃなかろうか。

 

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生きづらさには直結しないが、知っていると行動範囲が広がったり、話の幅が広がったり、自分の生きがいになったりすることについて考えてみる。
地理、歴史、政治、外国語、プログラミング(ものを動かす仕組み?)、美術、音楽、体育(スポーツ)、料理・・・。

これらは知らなくても健康、生命に直結はせず、これら知識がないから生きるのが困難だ、ということにはあまりならなさそうだ。なかにはこれらを知らなかったゆえに死んだ人、属する組織で知識がないため生きづらさを感じている人もいるのかもしれんが、そもそも属する環境によると思う。

主観だが、ここらへんから、強制的に学ぶ必要のない領域だと考えている。合わない人にこれらを押し付けても、結局受け入れない。反発して別の方向へ行く。一時は受け入れても身につかず、最終的に放棄する。
こういう知識は扱いが難しいと思う。好きな人は最小限の知識を与えただけでどこまでも突き進んだりするから。嫌いな人はすぐに拒絶する(厄介なことに、表面上は受け入れているように振舞う人もいる)。

日本でどのような教育をするかというのは試行錯誤の歴史だったのだろう。それは今も続いているのだろう。個人がどう捉えているかは置いておいて、教育の体系作りというのはすごいことだ。

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日本の文明社会を維持していくのならば、脱落者つまり教育を受け入れられなかったものがある程度存在することは仕方ない、と割り切って、健康、生命、生きづらさには直結しない教育を半強制的に与えないといけないのだろう。じゃないと、衣食住の供給、建造物の管理や、食料生産などに難が生じるのでは。
全国民、とくに若者が自分は何々をやりたい、という欲求に素直に従って生きていたら、文明は崩壊するのだろうか???心の底から建造物が好き、食料生産が好き、って人も結構いるのだろうけど。やってみないとわからんのだろうね。

妄想。
中学くらいの教育に反発してしまった人、合わないな、と思いながらもどうすればわからずになんとなく進学し続けた人、そんな人達がどうやって、人生おもしれーなと思って、ついでに他の人も幸せにして生きていくことができるか、その選択肢が認知されている、あるいは道を外してから早期に知ることができることができる社会は理想的、というか自分としてはそうだったらうれしい。

 

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知っていることでも、知識ではなく技能の類。それを身につける方法。説明か体験か。
自転車を初めて乗るときの、乗り方なんかは、百の説明よりも一回の体験だと思う。体験なしに自転車の乗り方を講義しても、おそらくは徒労。エネルギーの無駄な消費に終わる可能性が高い。知らんけど。
箸の持ち方も多分似たようなもん。



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炎天下のもと、車中に赤ん坊を置いていたら亡くなってしまった、というずいぶん前に耳にしたニュース、もしそれが知らなかったことに起因するなら悲劇である。
知らないと生命、健康に直結することがあるな、と思い、知るべきこと、という主題で文章を書いてみた。電子レンジがない国だったら卵をチンしたら、という知識なんか知らなくていいように、所詮知っていることが役にたつたたないなど状況によるのだが、赤ん坊を育てている人にはこんな知識が必要だ、小学生が音楽に興味を持つきっかけとしてはどれくらいの体験をさせてみようか、など、知るべきこと、知っていること、「知」をどう扱うか、というのは(今でも十分洗練されていると思うけど)さらに深く洗練されるに越したことはないと考えている。とにかく知識をつけまくる、という方法もあるけども、知の扱いを洗練させる。知らないことは調べればいいからね。

カギは、とにかく記録しまくることだろうなあ。

 

知の扱いについてだが、スベスベマンジュウガニの毒は超強烈で人が死ぬ、ってことを最近知った。生命に直結する知識ではあるが、これは日本人全員が知る必要はあるのか???それとも海に行く、という人に周知させる程度でいいのか???

 

 

最後に、知ってほしいこと。知りたいこと。
あまりエネルギーを使わずとも、豊かな暮らしを営むことができる、ということは知ってほしい。そして、よりエネルギーを使わずに済む方法を知りたい。こういうことは、知っている、知らない、ではなく志向性だと思う。エネルギー問題については何が正しいか、なんて知らないし、躍起になって知ろうとも思わないが。自分があまり考えずにやっていることが実はエネルギーの膨大な無駄遣いだった、というのは知っておきたい。インターネットも超強烈な環境破壊なのかなあ・・・。

 


自分は何を知っているのか、何を知らないのか。どうやって知ったのか。自分以外の存在に何を伝えるのか。なんかクサい文章を書いてしまった。