地球ごめん

地球環境について思ったことと、趣味のバイオリンについて書きます。という目的で開設したがなんか考え事の雑記が主。

命について/生きる目的について

虫を殺した。小さい虫。台所に発生する小さいハエみたいなやつ。一匹二匹ならば逃がすのだが、(自身のぐうたらゆえに)少し多めに発生してしまい、倫理観を不快感が上回った。

小さい虫といえども殺生は心が引ける。しかし、あまり悲しい、とか自己嫌悪、とかの感情は生まれない。そういうことを考えるのに疲れた、というのもあるのだが、殺生による負の感情を抱くには奴らはあまりにも小さい。

 

虫の感情なぞ知るよしもないが、そもそも奴らからは自らの生命が奪われることについての必死さが感じられない。必死だろうけども、その生命個体が持っている最大限の努力が人間からするとあまりにもちっぽけである。命を奪おうとして手を伸ばしても気づきもせず、気づいたとしてもゆっくり空を飛ぶ。命を奪うことがあまりにたやすい(速い奴もいる)。その弱さゆえに、なるべく外敵に見つからないような場所を選んで生きているのだろう。

奴らは種として生存していくことが目的なのだろうか。実際は知らんが、奴ら個々は合理的に、いかに生き延びて、子孫を残すか、を追及しているのだろう。それにしてもあまりに個々が弱い。

 

動物の命は、生きることは合理性に基づいているのかなあ、などと考え結論づけようと思うと、また疑問が生じる。他の生物は、たやすく同族を殺している。まあ人間なんか特に顕著だろう。

 

人間についてはデリケートな問題なので触れない。

人間以外の動物が同族を殺す背景は、自分が強い個体となり子孫を残すことが結果として種の繁栄につながる、と考えているのだろうか。それとも何かを守るためか。時にはイジメのように、強い快楽に導かれたゆえの同族殺しもあるのだろう。あるいは一種のエラー、狂気じみた感情の暴走か?
個の意志に関係なく、生命としての設計のされ方として、そういう行為が結果として種を守ることにつながるのだ、と、DNAに刻まれているのか?わからん。

 

自分ひとりで想像力を働かせても結論は得られぬ。それに、命、という主題について根詰めて考えようとは思わない。疲れる。テーマが大きすぎる。理由を想像し、考える行為は楽しいのだけど。
世には頭のいい人がたくさんいるから、いたから、命に係わる事柄に対して色んな考察がされているのだろう。しかし、俺の主観だが、命の在りようや捉え方については結局その本人か、命をつくり出した存在(宗教的な言葉をつかうと神?)に直接聞かないとわからないと思う。もっとも、なぜ生まれたのか?なんて動物に聞いても「そんなの知らんわ」となるだろうが。

 

・・・

 

命について真面目に考えるのも疲れるし、考えた結果を行動に伴わせる、というのはもっと疲れる。だいたい、外で歩くだけで、数多の生命を奪っている。そりゃあできるだけ不殺の念を持ちたいけども、意識外の殺生については難しい。それに奴らを殺さないで生きるために家に閉じこもり虫が発生しない生活を心がける、なんぞ難しいし嫌である。

生命の、生きる目的がなんなのか、わからない、わかっていない。小さい虫は、個としての命を守ろうとするにはあまりに小さい。同族殺しという行為については理性的に捉えることができない。命についての真理を見出し行動に移す、なんてこともできない。修行が足りない!!!!
訳が分からなくなる。自分の行動一つ一つ、他人の行動一つ一つ、目に映るもの一つ一つに倫理性やらの観点を持ち込むのか?


***


命は複雑で考えてもわからないので、強引だが、生命については「現象」である、と考えるようにした。草木が生えているように、石ころがそこらへんに転がっているように生命は存在し、そして天気みたいに変化するものだ。外で雨に振られれれば不快に思い、それを避けようとする。そのような感覚で、自分は、不快だから、虫を殺すのだ。

自分の行動について、そうやって結論づける。同時に、生命というのは喜怒哀楽の感情でたやすく奪われるのだなあ、ということを実感する。

 

時として天気のうつろいのように命が失われるのだろうが、できれば喜怒哀楽の感情による殺生は避けたいものだ。虫がたくさんいそうなところ、草花が生えているところはなるべく下を向いて歩き、命を奪わないようにする。自分がされて嫌なことはしない。自分がなんとなく歩くことで命を奪うように、突然命を奪われたらたまらんからな。そして、不快感を原因として殺されないために、なるべく周囲を不快にさせないように努める。『なるべく』。おわり。

命、という重いテーマについて考えると疲れる。もっとアホなことを考えて生きたい。


***


辞書を引くと殺生、というのは仏教用語のようだ。命をどう扱うか、という感覚で用いていたが、どうなのだろう。

命、と生命、をなんとなく使い分けたが、「命」は生きる目的、個々の性格なども含めたもの、「生命」は単純に生きている状態、という感覚で使っている。