地球ごめん

地球環境について思ったことと、趣味のバイオリンについて書きます。という目的で開設したがなんか考え事の雑記が主。

土の暮らし

花の華やかさもなければ、草木のような牧歌的な温かさもない。
ぬかるみのような羨望や嫉妬もなければ、鉄やコンクリートのような冷たさもない。
土のような暮らし。

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平日の真ん中の休日は、土日祝、と連なる3連休とは違う趣がある。
3連休はなんか、+αのような、いってみればボーナス感がある。

平日の真ん中に休日を過ごすのは、一日だけプツリと切り離されたような特別な感じ。自分は1年程ニートをしていたのだが、平日に何の予定もなく過ごしていると、その時の暮らしを強烈に思い出させるのだ。

 

何の予定もなく一日が始まり、その日をどう暮らしていこうか、と思いを巡らせつつもごはんを食べてのらりくらりと過ごす。

昼過ぎに、これでいいのか、今日は何もやっていないぞ、などと軽い危機感を抱きつつも、強い動機も意志もなく、またのんびりと過ごす。そんなこんなで夕方になり、このような文章を書いている。
音楽を聞くとき以外は本当に静かで、そして周りもだんだんと暗くなっていき、一日が終わっていくことをしみじみと実感する。思うがままに生きつつも一日を過ごすエネルギーが切れ(活動量とは関係なしに)、眠りにつくのだ。
今は働いているので、明日は社会人として振舞うのだが、ニートのときはこれが日常であった。

 

一日ニートっぽい暮らしをするだけで強烈に思い出す。
記憶として覚えている、のではなく、体が覚えている。
変な例え方をするなら、一日だけ高校生に戻る感じ。多分制服を着て高校へ行けば、多分あんまり違和感を感じることなくその日一日を過ごせると思う。楽しいとかそういうのは置いといて。
人生として覚えている。

なんでこんなことを書いたか、というと、ニートの時によく文章を書いていたから多分その名残、余韻のようなものがあって、書きたいなという気持ちになったのだと思う。
(ここに書いている文章も、そのときの気まぐれの産物である)


ニートの時の暮らしは、当たり前だが決して華やかではな暮らしではなかった。
一人暮らしなので、人との関わりも少なく、温かさもなかった。
かといって、それなりに楽しく日々を過ごしていたので羨望や嫉妬などもなく、
人を傷つけるような冷酷さもなかった。(人と関わることが少なかったので)

華やかさもなければ、草木が生い茂るような牧歌的な温かさもなく、
かといって、じめじめとしたぬかるみも、鉄やコンクリートのような冷たさもない、などと考えていると、土のようだな、などと思った。

 

土の暮らし。

 

思えば自然は、すべてが花や草木に覆われている訳でもないよなあ、とも思う。だからなんなんだ、って感じだが。

土のように、毎日空をみながら、時々遊んだり、時々ぬかるみのような沈んだ気持ちになりながら、日々を生きていたなあと。
まあ結局世の中金で、金銭的な理由で働き始めたのだが。

※そういう暮らしができたのも、周りがあってこそなのですよ!などと考え始めたらぬかるみのような感情に沈んでいくのであまり考えない。

 

平日休みで思い出したので、あとは「土の暮らし」という語感が気に入って書いた次第。土があってこそ、そこに草花が生えるのですよ、などと装飾的に終える。