地球ごめん

地球環境について思ったことと、趣味のバイオリンについて書きます。という目的で開設したがなんか考え事の雑記が主。

自然の量と都市緑化/提案者・実践者・エッセンシャル

自然の量について。

先日昼間に外にでて、ふと、「日本って自然が多いのか、少ないのか」などと思い、googleで「日本 緑 少ない」と検索したら、都市に緑が少ない、という記事が散見されました。
地球環境、という観点だと、都市緑化が大事、というのはちょっと関係ないのかな、と思います。ないよりはましだと思いますが。
はっきり言ってしまえば「インテリアがかっこ悪い」と同義だとすら考えています。
自然がないことが健康や人命にかかわるなら別ですが、そういう要素を抜きにすれば都市に緑なんかいらねーと思います。

 

都市緑化したくば壁を緑色にすりゃいい!

 

問題とすべき要素は、都市が日本の国土に占める割合だと思います。
いいかえると、日本(地球)の土地における、非自然的な土地の割合。

単純な割合で例を示すと、

日本における都市の割合が50%、残り50%が自然。都市における自然の割合が20%
日本における都市の割合が30%、残り70%が自然。都市における自然の割合が3%

 

こう置き換えると、都市緑化などよりもそもそも自然を増やすことが地球環境にとってよりいいことだと思います。

 

 日本で国民の不利益なく自然を増やすにはどうすればいいのかな、と考えますが、都市部と自然の「境界」をどうしていくか、がカギじゃなかろうか、と思っています。
都市部という範囲があり、その範囲の中に自然を増やすのではなく、都市部と自然の境界を少しずつ自然に還していき、都市部の範囲を狭める、という考え方です。
都市部の範囲を維持したまんま、中に自然を増やした、としても、よほど規制しない限り結局、境界の部分をどんどん開発して都市化していくんじゃないかな、と思っているのです。

その境界をどう自然に還すのか、の具体的なやり方などは知りません。その境界にいる人達、境界を利用する人達との対話なのかなあ。

 

***

 

都市緑化は、地球環境の観点からはやや的外れに感じるが、それでも身近に自然がないのは少しさみしい。
ひたすら理想しか述べてないが、自然の中を縫うように、直線的なまちづくり、というのはどうなのだろう。
もっとも、電車に乗っているときに風景を見ていたら、まちのつくられ方は直線的だな、とも思ったが。

 

都市緑化で、半分冗談ですが、ツタなんかはどうなのでしょうか。虫どもが湧く、などの問題点はあるようですが、なにも家などではなく、もっと公共の空間、コンクリートの壁などにガンガンはやす、とか。


どうでもいいこと
有機物を含み、光合成の効力を持つ塗料、ってあんのかなあ。まあ、あっても効果は薄そうだが。

 

●実践者ではないこと。理想をいうこと。

 

上記のように、地球に自然を、などの意見を述べると、「じゃあてめえがまず実践しろよバカ」なんて批判が聞こえそうです。実際いわれたわけじゃないですが、そんなことを想像し、たまらん気持ちになります。
僕は農業・林業従事者ではないのです。土地も持っていないし、土地を買うお金もない。

 

自分の手のおよばないことは実践できません。じゃあ無理だ、とあきらめる。それが一番よくないでしょう。エコの思想を持つ人が一人減ってしまいます。

自分の手のおよばないところについては理想を語り、手のおよぶところでは実践する。ただの節約とかですが。それを当面続けたいです。

 

手のおよばないところについて自分でも実践できることの一つとして、地球環境に対してよくないであろうことに、NOということがあると思います。賛同しないことです。一番直接的なのは金を払わないことです。が、これがなかなか難しい。
自分の買った食料一つが、輸送、工場、などで、結局は地球環境によろしくないことにつながっているかもしれないから。

 

まあ、実践できる、できないは置いといて、そもそも考えること、地球環境について考えてそれを文章にする、ということが面白い、というのがかなりあります。SFみたいなもん。

 

記事のタイトルにあるエッセンシャル、は、語感が似てるからなんとなく付けました。