地球環境、考えることの虚しさと危機感とゲーム
地球環境について考えることの敷居が高くてはいけない!!!
地球環境についてなんか考えることはできないか、と思い図書館で本を探すも、統計やら技術の話やらで敷居が高く感じました。
そしてふと、それはまずい!と思ったのです。エコの敷居が高いと、自分たちと関係ないことのように思われるのではないか?!と。
アホでも何かしら提案しよう!とブログを勢いで作りました。
しかし、地球環境について考えるのはむなしいです。
昼間外にでて、割合に自然の残る川沿いをチャリンコで走っていたのですが、そのとき、「本当に地球環境はマズいのか・・・???」と思ったのです。
自身の周囲には身近な自然があり、遠くにも山が見えます。更に遠くには、自分の知らないところには森や林が広がっているのでしょう。
日本の6割は緑だ、なんて聞いたことがあります。
6割、という割合がいいのか悪いのかは分からないですが、案外あるのかな、などとも思います。緑が多けりゃそりゃうれしいのですが、
「今、十分に地球に緑があるのなら、地球環境について考えるのはバカげてんのかな・・・」と思いヘコみます。
公園を横切ると、無邪気に遊ぶ子供がいます。
子供たちに、自分の身近な実践である、
・電気ケチれよ
・水ケチれよ
・皿洗いで洗剤つかうな
・地産地消だ
などと言っても、「コイツ何いってんだ・・・」と感じるんだろうな、と想像しヘコみます。
チャリンコでは、アスファルトの上を走っています。
「俺が人生かけて節約しようとしているエネルギーなんて、このアスファルト1㎡ほど敷くのに消費されたエネルギーとかより少ないんだろうな・・・」
などと推測しヘコみます。
地球環境について考えるのは精神衛生上よろしくない!!!!!
●発展と広がりの考えが居場所をなくす
それでもやっぱり考えないと、意識せんとまずいと思うのです。
それは、今の世は発展することが正解であり理想であり夢であるように感じるからです。
建設業者は、理念でまちづくり、と言います。それが夢であるかのように。
そのまちづくりが発展でありかつ“拡大”であるならばちょっとマズいでしょう。
夢はさめたら現実。
まちづくりという夢を見続けた先に、食料を生み出すことのできる土地のない現実が待ちかまえているかもしれません。
建設は尊いことだと思います。建設なしに雨風をしのぐ住環境はないです。
ただ、いたずらに拡大してはいけないと思います。
建設業者のいう“まちづくり”とは、新たなまちの創造か、今ある町の発展か。後者であってほしいです。
新規の建設をやめて、今あるインフラの維持管理、および、開発後未使用の土地を自然に還すよう努めます、という建築業者がいればすばらしいと思います。
めっちゃ飛びますが、ゲームは一種のエコだと思います。
プレイするにも開発するにも、パソコンとある程度の電気があればいい。
物質としても、DVDとパッケージだけで完結します。
インターネット配信ならば、それこそ電気だけです。
(インターネットインフラが地球環境にどのような影響があるかは知りません)
ゲームに没頭して外部、自然に興味を示さないのはそれはそれでマズい気もしますが、ガンガン自然ブッ壊して埋め立てて、の1000倍地球環境にいいと思います。
(1000倍は適当)
ゲームをする若者は、これ以上人間に地球環境を破壊させないよう、地球が生み出した使者なのかもしれない・・・
改めて。世で理想、といわれている発展で地球環境はよくなるのか。
土が、草木が、化石燃料(もしくはその代替)が増えるのか。
極論だが、文化の発達と、物質面での減衰が、地球環境の改善だと思う。
メディアで、減衰すべし!!!!なんていう人はみたことがないなあ。
よく知らんが。