地球ごめん

地球環境について思ったことと、趣味のバイオリンについて書きます。という目的で開設したがなんか考え事の雑記が主。

バイオリン 解放(リリース)という考え方 あと揺らぎ

バイオリンの演奏技術で今考えていること。力んだ状態から力を解放、リリースしたときの緩みを利用したい。

バイオリンの演奏において「力むこと」、については相当慎重に取り扱わないといけないと思うけど、あえてね。脱力うんたらという話をよく聞くが、自分もよくそういう話をするが、そもそも楽器を構えている、腕を持ち上げている状態、というのは最低限の力みがある状態だ。完全に脱力すると落っこちちゃうのだから。これは単純に一つの事実であろう。

力んだ状態から力を緩める、リリースするとその際に、1~2cm程わずかに動作が生じる。たかが1~2cm、されど1~2cm。1cmでも弓が動けば音が出る。
それをボウイングに使おうと考えているのです。

弓元で柔らかい音で弾き始めるのは難しい。どうしても子音的な、ガギグゲゴから始まるような音が出てしまう。これは多分、「弾こう」「動かそう」としているからだろう。意識すると力む。シャープペンシルでで文字を書いているとき力むと筆圧が強くなって芯が折れたりするのと同じだ。
裏を返せば、これは弓が弦に「ひっかかっている」状態だから、この状態を保っていれば多少ピクっとなっても発音されることはない。

仮に、構えた状態で完全にひっかかりがない状態で弓と弦が接していたら、わずかな動作でも音が出てしまうので、弾き始めの“前”にひっかかり0の状態にして音を弾き始めようとしたら、“ふにゃらふにゃらぺー”って発音になってしまう。主観だが、経験談でもある。

弓元で構えて、力みによって固定する。音が出ない状態。そこから力をリリースし、そのリリース時のわずかなによって発音する。ただし、急激なリリースであると勢いがつくので、じんわりと、少しずつ緩める。んで得られたわずかな動きをきっかけとして、弾き始めとする。

力を0から加えていくのでなく、ある程度加わった状態から抜いていく。
リリースという考え方で、元弓での繊細なボウイングを実現しようという試み。

 

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もう一つ。ある方向に力んでいる状態から、力を緩めると、さながらバネのように逆方向に動く。腕をまっすぐピンと伸ばした状態から力を緩めると、ほんの少し曲がる。
これを応用しようとしているのが、弓先での返し。弓をまっすぐ動かすと、弓先のほう、特に指板寄りのG線だと足りない足りない、となってしまい、少しグッと伸ばす。ちょっと力んでいる。テンションが掛かっている、という言いかたの方が適切かもしれない。
んで、グッと伸ばして先に到達した後に、力を緩めると、腕が緩んで曲がる。自動的にアップボウになるので、これは自然な返しに繋がるかもしれない、と思ったのだ。

今まではこのグッと伸ばす、ということはいわば力んでいるようなもんだから悪しきことだと思い、手の長い人が羨ましい、と思っていたが、それを逆に活かす。グッと伸ばす力みからの力のリリースで弓先での返しを自然にやる。

あとはボウイングの移弦だ。自分の先生に、移弦するときはその逆方向に動かす動作をいれてから移弦するといいよ、と教わった。この教えには色んな含みがあると思うのだが、その一つには、力のリリースで逆方向に動く、ということもあるのかもしれない。


あと一つ。力んだあと、ぱっと力をリリースしたら、その際、俊敏な動きができる。ため、とも言えるかもしれない。それはものを投げるときとかに現れていると思う。握りこぶしに力を入れて、パッと力を抜いたときに腕を動かしてみる。脱力した状態よりも、力を入れ続けた状態よりも俊敏に動かすことができるはずだ(主観)。これも検討している段階だが例えばハイポジションなどでしっかり指で押さえた後の、一瞬の力のリリースを利用してパッと低いポジションに移動する、とか。


このリリース、という考え方、色んな場面で応用が利くと思う。それこそ楽器を構えているだけである種の力みがあるのだから、そこからどの方向に力をリリースするかを考えるなど。

大舞台の上での緊張による力みなんかも、それをうまい方向にリリースすれば、その力みを使いこなせば音楽になるんじゃないか、と思った。知らんけど。大舞台で力んでしまうのは、お客さんから力をもらっているのですよ!!!みたいな。

なんだって演奏につなげてやろう、という考えだ。


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ついでに弓元からのボウイングについて「揺らぎ」という考え方を書く。
弓元で構えて極めて自然な力の抜けた状態であったとしても、ダウンボウ、弾く、という意識をすればやっぱり力みが生じる。その力みのコントロールが実にうまく、あるいは鍛錬の賜物で豊かな音の始まりを紡ぐ人もいるのだろうが、それが苦手。

んで思いついたのが、体を傾ける、という考え方。体を右に傾けたら腕は自動的に落ちる。それによる発音に頼る。そして、傾けるのも意識的な動作ではなく、揺らぎを使う。たゆたう、と表してもなんか趣きがある。
日常のなんでもないふとしたときに、少しだけ体が揺れるような、そんな揺らぎ。人間は呼吸によって常に微小な揺れがあるような。あとは授業中に眠くなって揺れる、あれ。そういった揺らぎをダウンボウのときに用いると、実に自然な発音ができると思うのだ。

花弁が開くような。

タイスの瞑想曲の出だしの音について、極めて自然な音の広がりを自分は求めているので、自然の摂理と人間の生理的な働きに頼っている。

主観。好み。あとは意志的に「こう動け!」と筋肉に命令をして音を出す、というのが不得意、というのもある。

弓元に限らず中、先弓でも揺らぎによる微小な動きで発音したりする。応用は他にも多分ある。


自分は力の管理が不得意なので揺らぎに頼っているが、筋肉に命令して腕を動かすというか、意志的な音は力強く引き込まれるようで、なんとも魔性を帯びており、憧れる。魅了。以上。