地球ごめん

地球環境について思ったことと、趣味のバイオリンについて書きます。という目的で開設したがなんか考え事の雑記が主。

文化文明の進歩と発展と普及と依存と衰退とカジュアル断食

やるかやらんか、自分ができるかは置いといて・・・
カジュアル断食が普及すれば全てが解決する!!!!!!


地球環境問題に関心があるけども、都会が好きで、大都会でビルに囲まれると異様な高揚感を得る。ワールドカップのお祭り騒ぎなどを見ると楽しい。こうしてパソコンとインターネットにも触れている訳で、文明、文化が好きだ。
だから、建設技術などが進歩して大都会が生まれること、それにアクセスできる交通手段があること、スポーツなどの文化が発展し、通信技術が普及しワールドカップのような熱狂に一般人の自分が触れれることは大いにうれしい。

普及の度合いが大きくなると、それが当たり前になるとどうなるか。むむ。どこもかしこも大都会、毎日ワールドカップお祭りだとさすがに飽きる、というか疲れる。時折車には乗るけど365日は使わない、交通手段は所有せずとも公共物としてあるならば困らない。

普及の肥大の果てに依存があると思う。毎日お祭り騒ぎじゃないと私死んじゃう!!!とか。

あと、車とか。車がないと生きていけない、って人もそりゃ一定数いるけども。こういう場合は依存というよりも必需品か。

自らの提供するものに依存させれば安定した収入が得られる。その数が多ければ多いほど収入は多くなる。姿を変え中身を変え、「こっちの方がよりいいですよ!(買え)」と絶えず供給を続ける、依存させることに依存する、共依存というか。それは進歩・発展の皮を被った衰退だと思うのです。主観です。


とか考えていると、人間が依存しなければならないものはなんぞ、安定して供給されねばならぬものはなんぞ、と考え、「食」に行き着くわけです。

くまさんみたいに冬眠できるといいんだけど・・・数日水を摂らないと人は死ぬらしいからなあ・・・


しかしどうも、断食はできるようで。まあ一日食わない、とかだったらやったことあるし。

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室内打ち水大作戦

なんとかエアコンに頼らない方法はないかと思い、室内で打ち水をしてみた。といっても、床をびしょびしょにするとかではなく、色んな平たい場所に食品トレーみたいなやつを置き、そこに水を入れた。
あと、机の上に氷水の入った皿を置いた。手元にはペットボトルに水を入れて凍らせたやつを置いた。溶けたら逐次飲んでいる。
やってはいないがステンレス製のボウルにたくさんの氷水を入れたやつを自分の近くか、風の通り道に置けば効果がありそうな気がする。

とにかく平たい部分に水がある状況を作ったら蒸発うんたらで冷えるんじゃないか、という発想。でも、水があるだけだったら意味ないのか? 例えば水の入った霧吹きを冷蔵庫で冷やしておいて、床に軽くシュッシュッとしたら、本当の意味での打ち水になるんじゃないか?

 

打ち水の理屈とか科学的な効果などはよくわからない。とにかくエアコンに頼らずになんかできないか、というだけ。とりあえず自分の周りに凍ったものを置いたらちょっと冷えたような感じがした。気のせいか。それにしても暑い。あまり意味なさそうな気がする。ものは試し。

おいどんのふるさと

はてなぶろぐで、「私のふるさと大募集」というお題を見てなんか触発されてしまった。


おいどんのふるさとは地球です!!!!!!!!!!!!!!


いや、冗談だけれども、まあ合っているけども、私は地球の外にはまだでたことはないけれども、宇宙飛行士として地球の外に出た人にとってはなんか引っかかるものがあると思う。
あるいは宇宙へ行くことが当たり前になった暁には、果ては地球環境が変化し人間が住めない状態になってしまい、泣く泣く宇宙へお引越しするハメになった際は、宇宙から地球を見て、すっかり変わってしまった(多分緑が灰色になってる)地球を見て、「あれが私のふるさとか・・・」と思い、涙が出るのでしょうね。

ところで、無重力下で泣いたら目に涙が溜まり続けて延々と目薬をさしているような状態になるのですかねえ????教えてガガーリン!!


宇宙まで飛躍した話を日本に戻して、ふるさとについて。私のふるさと。滋賀県米原市醒ヶ井。

 

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バイオリン 左手 移動量について

バイオリンのこと。左手のポジションについて、移動量という考えについて書く。主観。
「ポジション」、という場所で考えるのではなく、どれくらい音が変わるかの移動量(距離ともいえる)で考えよう、ってこと。そんだけ。

こんな感じ。
0.5 短二度 ド→ド# すぐ隣、目下の手元、いわば食卓の箸
1   長二度 ド→レ  ちょっと離れた隣、目先の手元、食卓のごはん、おかず
1.5 短三度 ド→ミ♭ 隣のちょい隣、手を少し伸ばしたところ、食卓のコップ
2   長三度 ド→ミ  隣の隣、手をグッと伸ばしたところ、食卓の、離れたところにあるコショウ

なんか変なことを書いているのは、距離感の認識の仕方。日常における距離感、日常動作と関連付けて覚える、という試み。
他にも「枕元に置いてあるケータイ」とか、「机の端に置いてあるティッシュ」とか。日常的なもの。
自分は半音ずらすときは「お隣さん」感覚でフッと移動し、長三度(ド→ミ♮)の移動は「結構遠いところ」という認識で割と気合を入れて移動する。自分の言葉で距離感覚を意識する。

とりあえず短二度~長三度の4段階を習得する(したい)。この4つ、というのがミソで、まずこれ以上移動量の認識が多いと結局混乱してしまう、あとは隣、とかいった距離感覚の定義がしにくい。あとは長三度まで網羅すると、音階の分散和音がやりやすくなる、ということだ。

移動量についてもう少し、考えを述べていく。

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矛盾の変容

様々な状況で矛盾の存在を感じる。そして、その矛盾は変容するものだ、と思った。

自分だけじゃないと思うが、自己肯定感が低いとささいなことで死にたくなる。が、当然死にたくない。
「死にたいけど死にたくない」、というシンプルながらもタチの悪いこの矛盾は、いつしか「どうでもいいや、そのうちなんとかなるっしょ」、という心境に変容した。
この矛盾は何度も発生するのだが、その度に「おいしいもん食べよう」「ふて寝しよう」という心境に変容するので、まだ死なずに済んでいる。努力の方向に向かえばなおよし。

矛盾は変容する。その変容をどうとらえるかは自分次第だが。そう考えていれば、己に矛盾が生じたときも、それに苦しまず、その変質を待とう、と思える。

あるいはかき混ぜることで材料が混ざるように、外部から変質がもたらされることもあるでしょう。

それは第三者の言葉がけ、知人との食事であったり、自分から外に行くことであったり。そんな感じ。

反知識主義

反知識主義。がむしゃらに知識を身に着ける必要はなくない?と思いなんとなく思いついた言葉。あまりメジャーな言葉ではないみたい。

時間経過に伴い世の中の情報は増え続ける。紙や電子の記録媒体があるのだから、不便さを感じない限り“自分の中に”知識を得んでよしと考える。“考え方”も既存のものであれば結局は一種の知識だ。数学の証明みたいなもんだ。取り入れなくてよし。しかし、その知識を探すことができないならば、探し出しても理解できないならばそれは不便なので、そこに最低限必要な知識を見出すのでしょう。

人間から知識を除いたら何が残るのか。感情か。感情は人工物に置き換えることはできまい。
人工知能による感情。知識、ってか情報として人間の感情表現を記録して蓄積し、プログラムであたかも人間のように感情を模倣、再現するのだろう。しかし蓄積と記録なしに人工知能から感情が生じるか、いや生じまい。感情は固有のものだ!
でも結局人間の感情も、DNA的なやつとかBABYの頃から蓄積された感情の記録のプログラムによる条件反射みたいなもんじゃないかと考えると人工知能みたいなもんじゃないか?
何を言いたいかわからなくなってきた。何かを主張したいようで主張などなかった。

雲散霧消!!!

 

イノベーション、それはかつお節とお湯のマリアージュのように・・・

とても話しやすい奴がいる。そいつといると、頭の中の引きだしを全部解放して、いろいろしゃべりたくなる。そんな奴がいる。付き合いの長さもあるがどうも相性のよう。

お湯の中にかつお節をブチ込んだら、強制的にだしが取られるような感じ。
ちなみに水でもだしは取れるけど時間が必要。人間関係のよう。

 

相性の良い人同士、あるいは人と環境を結び付け、そこから何かを引きだす、生み出す。それってイノベーション???
人と人と空間の出会いがもたらすイノベーション・・・、居酒屋のキャッチコピーみたい。