地球ごめん

地球環境について思ったことと、趣味のバイオリンについて書きます。という目的で開設したがなんか考え事の雑記が主。

おいどんのふるさと

はてなぶろぐで、「私のふるさと大募集」というお題を見てなんか触発されてしまった。


おいどんのふるさとは地球です!!!!!!!!!!!!!!


いや、冗談だけれども、まあ合っているけども、私は地球の外にはまだでたことはないけれども、宇宙飛行士として地球の外に出た人にとってはなんか引っかかるものがあると思う。
あるいは宇宙へ行くことが当たり前になった暁には、果ては地球環境が変化し人間が住めない状態になってしまい、泣く泣く宇宙へお引越しするハメになった際は、宇宙から地球を見て、すっかり変わってしまった(多分緑が灰色になってる)地球を見て、「あれが私のふるさとか・・・」と思い、涙が出るのでしょうね。

ところで、無重力下で泣いたら目に涙が溜まり続けて延々と目薬をさしているような状態になるのですかねえ????教えてガガーリン!!


宇宙まで飛躍した話を日本に戻して、ふるさとについて。私のふるさと。滋賀県米原市醒ヶ井。

 

 

 

醒ヶ井、ここで出生したわけでも、育ったわけでもなく、電車で移動中にふらりと降りただけの場所。正味滞在時間は1時間程。町をふらりと歩いただけ。

人生において何も関わりのない土地。車窓から風景を見ていて、ここに行こう、と思った、それだけ。途中下車が可能な切符だったから、ってのもあるけれども。

 

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google map。こんな風景が目に移り、思わず降りたのだ。

 

四方を山々に囲まれた、規模の小さな町。町というには規模が小さい感もあるが、村というには商業の存在を感じる。2階建て以上の建物があまり見られないからなのか、町を歩いていても山が常に視界にある。安心する。木造の建物、あるいは少し古びた建物が多い。ふと横を見ると水路があり、なんとなく水路横を歩く。

駅の近くにおいしそうなお食事処があり行きたいと思ったが時間の都合で断念。

 

本来の意味での私のふるさと、祖父母の家の近くのちょっとした街路や水路とかが思い起こされるのだ。

あるいは「ふるさと」という言葉をキーワードに映し出される映像や写真などで見たことがあるような風景との結びつきが醒ヶ井にあった。

昔訪れた祖父母のいた土地、メディアで映し出されるふるさと、それらによってどうも自分にとってのふるさとの像が形成されたらしい。

 

そんなこんなで、正味1時間しか滞在していないのに、「私のふるさと」という言葉をみると醒ヶ井が頭に浮かんだ。

 

・・・

 

ふるさとって何ぞ?結局人それぞれ。
ふるさと、と田舎らしさ、は結びつくようで結びつかない。なんか田舎=ふるさと、というイメージがあるけども。なんなのか、あまりに建物が少ないような田舎だと、自身の記憶に残る風景とは結び付かない。山々に惹かれる思いはあるのだけれども。

当たり前だけど、東京などはそりゃ200年以上人が住んでいた土地だから、大都会がふるさと、って人もたくさんいるのだろうね。

そういう人は都会を見るとふるさとを想像するのだろうと想像する。建物がたくさんあるから。それっぽい、という感覚での記憶。
思い当たるのは、祖父母のいた土地と醒ヶ井は、山の見え方、建物の量、あと、土地の平らさ、という点も似ていた。
そんなんでふるさとを思い起こすなんて、私(あるいは人間?)の頭は単純。いや、複雑なのか?

ちなみになんで「私のふるさと」という言葉から、本来のふるさとが思い起こされないのか、というのは、人間関係やらのいろいろな経験から、「ふるさと」という淡い、さっぱりとした言葉が浮かばなかったのでしょう。


・・・


あらためてネットで醒ヶ井を見てみると、小綺麗な水路、風情ある建物。それらを見てもふるさととは結び付かない。されど、自分がふらりと訪れた場所にはこんな魅力的なところもあるのね、と知る。

 

地蔵川、という写真。wikipediaより拝借、失敬。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%92%E4%BA%95%E5%AE%BF#/media/File:Samegai02s3872.jpg

 

知ることで憧れが深まる。


多分、醒ヶ井の記憶、醒ヶ井で途中下車した、という記憶は一生自分の頭の中にこびりついて離れない。

住んでいた、とかそういった意味での「ふるさと」ではないが、一度訪れたこと、そしてその土地への憧れが心の中にあること、そういう思いをいつまでも抱き続けるであろうことで、いつしかその土地が「私のふるさと」になるのでしょうね。


ふるさとはいくつあってもいいと思うよ!!!!

 

 


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思想の話になるが、醒ヶ井みたいなコンパクトな町で日本全体の暮らしを成り立たせることはできないのかなあ、とよく思う。

醒ヶ井を有する米原市の人口は約3.8万人である。面積は250km2。ちなみに森林率は人工、天然併せて大体60%(ウィキペディアとか、市のHPとかで見た)。
日本の人口が1億3000万人で、国土面積38万km2。

日本全部が米原市みたいな感じになったとして、1億3000万人が住むとしたら、適当に計算すると国土面積は86万km2必要。今の日本国土だと5500万人くらいしか住めない、という計算になる。

1億3000万人がコンパクトな暮らしをするならば日本はかなり狭いようだ。
もっとも、醒ヶ井のことも、米原市のこともよく知らんのだけど。

ちなみに東京都の場合。人口1300万で面積が2200km2だから、日本の国土を一割東京みたいな大都市にすれば、のこり全部自然にできる!!!!農業とか産業全く考えずの計算だけれども。

 

醒ヶ井のような町が好きだけれども、都会のごちゃごちゃ、路地のたくさんの飲食店、その雑多さも好き。こういう要素が自然と人間の領域をそれぞれ犯さず、現在を生きる人間が幸せで、それでいて生態系を乱さずに成り立てばいいのだけれども。
人口の半分が東京見たいな大都市に、残り半分が醒ヶ井みたいなコンパクトな町に住む、みたいな。

自然に未配慮な考えなしの広がりが自然を壊しているとおもうのです!!!! というのは考えなしの暴言だが、なんとなく考えていることを述べた、ってことで。

 

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語尾が「ども」ってのがやたら多いけれども、面倒だからそのまんま。